今回は1966年頃から68年までの約3年間ジャマイカて流行したロックステディ(Rocksteady)という音楽について書いてみようと思います。
ジャマイカでは50年代頃からアメリカのリズム・アンド・ブルース(R&B)やブルースなどに影響を受けた、2拍目と4拍目を強調したリズムが特徴のアップ・テンポの音楽スカ(Ska)が流行していました。ところがそのスカの時代は、スカをけん引していたバック・バンドのThe Skatalites(ザ・スカタライツ)の解散で終わってしまう事になります。
その解散の引き金となったのは、人気のトロンボーン奏者だったDon Drummond(ドン・ドラモンド)が精神に異常をきたして、恋人を殺害して投獄されてしまった事だそうです。
その為にスカの時代をけん引していたThe Skatalitesは解散状態となり、あっけなくスカの時代は終わってしまいます。
そうしてスカの時代の次に来たのがロックステディの時代です。
それまでのスカがアップ・テンポの音楽だったのに対して、ロックステディはスロー・テンポで甘いメロディが特徴的な音楽です。このスロー・テンポのロックステディがミディアム・テンポに変化してレゲエという音楽になったと言われますが、リズムを刻むようなリード・ギターと歯切れの良いドラミングのレゲエにも共通する特徴的な音楽スタイルは、すでにこの前身のロックステディの時代に表れています。
そのロックステディのスタイルを確立するうえで中心となったのが、Studio One(スタジオ・ワン)を中心に活動した元The SkatalitesのJackie Mittoo(ジャッキー・ミットゥー)と、もうひとつの大手レーベルTreasure Isle(トレジャー・アイル)を中心に活動した元The SkatalitesのTommy McCook(トミー・マクック)、トリニダード・トバゴ出身のギタリストのLynn Taitt(リン・テイト)などでした。
元The Skatalitesのキーボード奏者のJackie Mittooは、サックス奏者のRolando Alphonso(ローランド・アルフォンソ)などと共にStudio Oneのバック・バンドSoul Brothers(ソウル・ブラザース)やSoul Defenders(ソウル・ディフェンダース)、Soul Vendors(ソウル・ヴェンダース)、Sound Dimension(サウンド・ディメンション)などで中心メンバーとして活躍しています。
彼は作曲や編曲などメロディ・メーカーとしての才能がある人で、得意のハモンド・オルガンを駆使して、Studio Oneに「Hot Milk(ホット・ミルク)」や「Ram Jam(ラム・ジャム)」など数多くの名曲を残しています。
またThe Beatles(ビートルズ)の楽曲「Norwegian Wood(ノルウェーの森)」を編曲カヴァーした曲「Darker Shade Of Black(ダーカー・シェイド・オブ・ブラック)」や、ラテン音楽の「Taboo(タブー)」を編曲カヴァーした「Drum Song(ドラム・ソング)」など、アレンジの類稀な才能も披露しています。
こうした彼の名曲はファウンデーション・リディムとしてのちの時代まで永く愛されています。
このロックステディの時代は数多くの名曲が誕生した時代ですが、メロディ・メイカーとしての彼Jackie Mittooの存在が、そうした名曲が多く誕生した理由のひとつである事は間違いがありません。
また元The Skatalitesのサックス奏者Tommy McCookは、もうひとつの大手レーベルTreasure Isleでバック・バンドTommy McCook & The Supersonics(トミー・マクック・アンド・スーパーソニックス)を結成し、ロックステディの時代を盛り上げた貢献者のひとりです。
彼らの作り出すサックスを中心としたムーディーで華やかなサウンドは、Treasure Isleで活躍したHopeton Lewis(ホープトン・ルイス)やPhyllis Dillon(フィリス・ディロン)、The Paragons(パラゴンズ)といったアーティストの楽曲を大いに盛り上げました。
こうしたホーン・セクションを交えた華やかなサウンドは、次に来るルーツ・レゲエの時代にも受け継がれています。
またロックステディの時代のもうひとりの立役者となったのが、トリニダード・トバゴ出身のギタリストのLynn Taitt(リン・テイト)でした。最初はスティール・パンの演奏者としてキャリアをスタートし、オルガン奏者としてByron Lee(バイロン・リー)にトリニダード・トバゴから連れて来られた彼でしたが、15歳の時に覚えていたギターを弾き始めてその実力を発揮します。ロックステディの時代になると彼は自身のバック・バンドのLynn Taitt & The Jets(リン・テイト・アンド・ザ・ジェッツ)を率いて活躍し、メロディを奏でるというよりはリズムを刻むような独特のギター・ワークで人気を博します。
Lynn Taitt & The Jetsの最初の録音はHopeton Lewis(ホープトン・ルイス)の「Take It Easy(テイク・イット・イージー)」で、この曲は最初のロックステディの曲だと言われています。 彼の独特のリズムを刻むようなギター・ワークは、のちのルーツ・レゲエのギターのスタイルとしてに引き継がれよく「ウンチャカ・リズム」などと呼ばれもしましたが、レゲエ(及びロックステディ)特有のリード・ギター奏法として広く認知されています。
その奏法を編み出したのがこのロックステディの時代に活躍したLynn Taittというギタリストでした。
ちなみにSteve Barrow氏とPeter Dalton氏の共著の有名なレゲエ本「The Rough Guide To Reggae(ザ・ラフ・ガイド・トゥ・レゲエ)」によると、スカとロックステディの間に「Rudeboy Music(ルードボーイ・ミュージック」と呼べる期間があったという事が書かれています。
スカの期間の1962年8月6日にはジャマイカの英連邦からの独立などもあり、ジャマイカは明るい空気に包まれていたのですが、独立後も都会に住む黒人の貧困層の生活は向上せず、そうした人達の不満が溜まっていたんだそうです。
そうした人の一部は時に犯罪もする「Rude Boy(ルードボーイ)」という存在になって行きます。
その社会に不満を持つルードボーイの最も象徴的な存在になったのがIvahoe ‘Rhygin’ Martin(アイヴァンホー・ライギン・マーティン)という青年です。
彼は1940年代に数々の強盗や窃盗などの犯罪をし、48年に警官との銃撃戦で亡くなっていますが、ルーディーの象徴としてこの時代に再認識されています。
彼の物語は1972年にJimmy Cliff(ジミー・クリフ)が主演した映画「The Harder They Come(ザ・ハーダー・ゼイ・カム)」で映画化されています。
そうしたルードボーイの人気からこの時代にはそうした若者を肯定する、ルードボーイ・ミュージックと呼べる音楽が多く作られています。
代表的なものでいうと、Stranger Cole(ストレンジャー・コール)の「Rough & Tough(ラフ・アンド・タフ:1970年)」、The Wailers(ザ・ウェイラーズ)の「Simmer Down(シマー・ダウン:1970年)」、Joe White(ジョー・ホワイト)の「Rudies All Around(ルーディーズ・オール・アラウンド:1967年)」、Keith McCarthy(キース・マッカーシー)の「Everybody Rude Now(エヴリバディ・ルード・ナウ:1967年)」、The Clarendonians(ザ・クラレンドニアンズ)の「Rudie Bam Bam(ルーディー・バン・バン:1966年)」や「You Can’t Keep Me Down(ユー・キャント・キープ・ミー・ダウン)」、Smim Smith(スリム・スミス)の「The New Boss(ザ・ニュー・ボス:1967年)」などの楽曲がそのルードボーイ・ミュージックにあたるんだそうです。
後にルーツ・レゲエの最も象徴的なグループとなるThe Wailersも、Bob Marley(ボブ・マーリー)とPeter Tosh(ピーター・トッシュ)、Bunny Wailer(バニー・ウェイラー:別名Bunny Livingstone)のオリジナル・ウェイラーズも、この時代にはルードボーイの代表的なグループとして活動していたんですね。
そのルードボーイ・ミュージックの代表的な楽曲としてよく知られているのが、Desmond Dekker(デスモンド・デッカー)の「007 (Shanty Town)(シャンティ・タウン:1967年)」です。
当時ルードボーイものを多くプロデュースしていたLeslie Kongによるプロデュースのこの曲は、スパイ映画の007シリーズに絡めた事もあってUKだけでなくアメリカのチャートにも入る大ヒットとなり、Desmond Dekkerを「ミスター・ロックステディ」と呼ばれるほどのスターに押し上げています。
実際に年代を調べてみるとルードボーイ・ミュージックはスカやロックステディ、初期レゲエの時代と様々な時代に跨っていますが、ジャマイカの音楽の根底に常にルードボーイを敬愛する思想が根底に流れていた事は間違いがありません。
この思想は時にUKの不良少年の間で愛されたスキンヘッド・レゲエとなり、Bob Marleyのルーツ・レゲエとなり、時にNinjaman(ニンジャマン)やBounty Killer(バウンティ・キラー)のバッドマン思想になり、現代のVibz Kartel(ヴァイブス・カーテル)やPopcaan(ポップカーン)などのアーティストにも脈々と受け継がれています。
ちなみに「The Rough Guide To Reggae」によると、こうしたルードボーイ・ミュージックを歌わなかったアーティストも居たようで、それがAlton Ellis(アルトン・エリス)だったんだそうです。彼はいかなる時でも反ルーディーの姿勢を貫き通し、けっして賛美する歌は歌わなかったんだとか。
このロックステディの時代に活躍したレーベルとしては、Studio OneとTreasure Isleが2大レーベルとして活躍したほか、シンガーのDerrick Harriott(デリック・ハリオット)が設立したアメリカのソウル音楽などの影響を受けたレーベル、Crystal(クリスタル)などが知られています。この時代頃になるとUKでもジャマイカの音楽がよく聴かれるようになり、それに伴って振興レーベルも徐々に育ってくるようになったのがこの時代でした。
またこの時代に活躍したアーティストとしては、Studio Oneを中心に活動したThe Heptones(ヘプトーンズ)やThe Cables(ケーブルス)、Treasure Isleレーベルで活躍したアルトン・エリス(Alton Ellis)やHopeton Lewis、The Paragons(ザ・パラゴンズ)、Phyllis Dillon(フィリス・ディロン)、The Pioneers(ザ・パイオニアーズ)、ミスター・ロックステディと呼ばれたKen Boothe(ケン・ブース)やDesmond Dekker、The Melodians(ザ・メロディアンズ)、Derrick HarriottのレーベルCrystalで活躍したKeith & Tex(キース・アンド・テックス)などが挙げられます。
音楽産業が盛んになり多くのスターが誕生したのが、このロックステディの時代でした。
その中でも特に象徴的なグループが、Studio Oneのヴォーカル・グループとして人気を博したThe Heptonesです。
リード・ヴォーカルのLeroy Sibbles(リロイ・シブルス)、コーラスのEarl Morgan(アール・モーガン)とBarry Llewelyn(バリー・ルウェリン) の3人組のコーラス・グループで、デビュー曲の「Fatty Fatty(Fattie Fattie;ファッティー・ファッティ―)」は卑猥な歌詞でラジオ局で放送禁止になるなど話題を呼びました。
その後もヒット曲を連発し、彼らの68年に発表したアルバム「On Top(オン・トップ)」はバック・バンドのThe Soul Vendorsがバックを務め、彼らの代表曲「Equal Rights(イコール・ライツ)」や「Heptones Gonna Fight(ヘプトーンズ・ゴナ・ファイト)」、「Pretty Looks Is’t All(プリティ・ルックス・イズント・オール)」、「Party Time(パーティ・タイム)」などのヒット曲が収められたアルバムで、ジャマイカで今までで「一番売れたアルバム」と言われています。
この時代にThe Heptonesはロックステディの代表的なコーラス・グループとして人気を博す事となります。またリード・ヴォーカルのLeroy Sibblesは、バック・バンドのThe Soul VendorsやSound Dimensionのベーシストとしても活躍しています。
またこの時代にCrystalレーベルで人気を博したデュオがKeith & Texです。
Keith Rowe(キース・ロウ)とTexas Dixon(テキサス・ディクソン)から成るこのデュオはDerrick Harriottの元で「Stop That Train(ストップ・ザット・トレイン)」や「Tonight(トゥナイト)」、「Don’t Look Back(ドント・ルック・バック)」などのヒット曲を飛ばし人気のデュオとなります。
これらのヒット曲は「Stop That Train」がThe Wailers時代のPeter Toshやアーリーダンスホールの時代にUKで活躍したClint Eastwood & General Saint(クリント・イーストウッド・アンド・ゼネラル・セイント)、また「Don’t Look Back」はPeter ToshとThe Rolling Stones(ザ・ローリング・ストーンズ)のMick Jaggerにカヴァーされるなど、のちの時代にも人気曲としてカヴァーされています。
またTreasure Isleレーベルで活躍したのが「クイーン・オブ・ジャマイカン・ソウル」と呼ばれたPhyllis Dillonです。
Tommy McCook & The Supersonicsの演奏をバックにした「Don’t Stay Away(ドント・ステイ・アウェイ)」や「One Life To Live(ワン・ライフ・トゥ・リヴ)」、「Perfedia(パフィーディア)」、Hopeton Lewisとのデュエット曲「Get On The Right Track(ゲット・オン・ザ・ライト・トラック)」などのヒット曲は、ロックステディの甘い記憶として多くの人の心に残っています。
そうしたジャマイカの音楽産業が発展したロックステディの時代でしたが、66年から68年のわずか3年あまりの短い期間で終了してしまいます。
その理由は中心人物であったJackie MittooやLynn Taittなどが、さらに大きな成功を求めてカナダ移住を決めてしまった為だと言われています。
そうしてロックステディをけん引していた中心人物たちがジャマイカを去ってしまった事でロックステディの時代は終わり、ジャマイカの音楽はミドル・テンポのレゲエへと変化して行くんですね。
ただ振り返ってみるとポピュラー音楽のキャッチーなメロディ(Jackie Mittoo)、リズムを重視した独特のリズム・ギター(Lynn Taitt)、音楽に厚みを付ける重厚なホーン・セクション(Tommy McCook)というのちのレゲエにもみられる音楽的要素は、スローとミディアムの違いこそあれ、すでにこの時代にほぼ出来上がっているんですね。
そうしたレゲエの下地を作ったのが、このロックステディの時代だったのかもしれません。
そう考えると短いながらもジャマイカの音楽史に多大な影響を与えた、とても重要な時代がこの66~68年のロックステディの時代だったと言えます。
Text Supported by teckiu
Upsetters® “The Product First” Tokyo Japan
Upsetters® www.upsetters45.com (#upsetters45)
2020年より世界のアナログレコード愛好家に向け、王冠をアイデンティティに持つユニークな”Product Art”(機能するアート作品)を発信開始。
アナログレコードのRe:ムーブメントをテーマに7inch/45回転レコードをフィーチャーし、一つ一つハンドメイドで製作された唯一無二のプロダクトアート作品。FounderであるJET氏が愛するJamaica音楽文化がコレクションに散りばめられた、"the Product First" 造形製品(作品)から開始される次世代へ向けたMade in Japan唯一無二のオリジナルブランド” Upsetters® ”はアイデンティティとして王冠を持つ。
Upsetters® Instagram Follow!!
THINK TANK Tracks™️
次世代ダンスホールビート実験集団 THINK TANK Tracks™️ Tokyo Japan.
唯一無二なプロダクトアート/アーツアンドクラフト作品から開始されるブランド Upsetters®︎ ”the Product first” Tokyo。次世代への音楽を物理的な媒体で所持するといったアナログレコードのRe:ムーブメントをコンセプトとして、2020年よりアナログレコード愛好家に向け、王冠をフィチャーした45回転レコードアダプター造形作品や、Founder / ProducerであるJET氏の原点である、Jamaican音楽文化が随所に散りばめられたコレクションワークを多数発信。JETの呼びかけで結成された、レゲエをベースに唯一無二な次世代ダンスホールビートを製作する新進気鋭のビート製作チーム。
THINK TANK Tracks™️ Instagram Follow!!