皆さんはレゲエという音楽を聴いた事がありますか?
レゲエはカリブ海にある島国ジャマイカで1960年代の終わり頃に誕生したポピュラー音楽で、広義にはジャマイカの音楽全般をレゲエと呼ぶ事もあります。
レゲエという音楽が誕生してからもう50年以上の月日が経ちますが、その間にもレゲエという音楽の形態はさまざまに変化し、今では日本も含めて様々な国で愛される世界的な音楽へと成長しています。今回はそのレゲエという音楽の流れを時代の順を追って紹介します。
まずはジャマイカで聴かれていた音楽がどういう変化をして行ったのか?追いかけます。
大雑把に言うとジャマイカで主流の音楽は、
メント(1950年代)→スカ(50年代後半~)→ロックステディ(66年~68年)→レゲエ(60年代後半~)というように流行の音楽が移り変わっています。レゲエが誕生するまでにもいろいろと音楽の流行が変わっているんですね。
さらにレゲエという音楽の流行の変化を見てみると、
ルーツ"ロック"レゲエ(1960年代後半~70年代)→アーリー・ダンスホール・レゲエ(80年代前半)→デジタルのダンスホール・レゲエ(85年~)という変わり方をしています。
これらはあくまで主流の音楽という事であり、ダンスホール・レゲエの時代になってもルーツ・レゲエという音楽がまったく聴かれなくなった訳ではありません。またルーツ・レゲエというジャンルの中にも、ダブやディージェイなど細かいサブ・ジャンルがさらにあります。
この後の90年以降のレゲエはデジタルでの音楽制作が定着してダンスホール・レゲエが人気ですが、よりポピュラー音楽に近いサウンドが主流になります。(デジタルのダンスホール・レゲエをラガ(Ragga)と呼ぶ事があります。)
またルーツ・リヴァイバイバル運動なども起こり、ルーツ・レゲエも再び人気を得るようになり、レゲエという音楽がより複雑化して行きます。(一説にはレゲエという音楽の人気が一番高かったのは、この90年代といわれています。)今回はそのレゲエという音楽を時代ごとに順を追って説明して行きます。
1. レゲエ以前の音楽 メント(Mento) - 1950年代
メント(Mento)は1950年代頃にジャマイカで聴かれていた民族音楽で、アフリカのリズムと西洋音楽を融合したような明るい音楽です。このメントという音楽は苦役をするジャマイカの黒人層から労働歌として愛されたジャマイカの民族音楽でした。辛い労働を明るいメロディで歌うこの精神は、後のプロテスト・ソング(反抗の音楽)として人気を博したルーツ・レゲエにも引き継がれています。
このメントで有名な曲としてはジャマイカ系のアメリカ人ハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)の歌う「バナナ・ボート(Banana Boat Song)」がよく知られています。
「バナナ・ボート」ってカリプソじゃないの?と思った人も居ると思いますが、実はこの曲はジャマイカの音楽メントなんですね。
カリプソは隣国のトリニダード・トバゴのカーニバルで発達した音楽で、アメリカではカリプソの方が知られていたので、まだ知名度が低いメントの曲「バナナ・ボート」をカリプソという事にしてしまったようです。その混乱は残念ながら今の時代になっても残っています。
このメントの頃はまだ音楽産業が盛んではありませんでしたが、ジャマイカ最古のレコード会社としてはKen Khouri(ケン・クーリ)の運営するFederal Recordsがよく知られています。後に自前のスタジオを持つStudio OneのC.S. Dodd"Coxsone"やTreasure IsleのDuke Reidも、当初はこのスタジオでレコーディングを行っていたようです。
またこのFederal Recordsのスタジオは、のちにBob Marleyによって買い取られ、Tuff Gong Studioとなります。
2. レゲエ以前の音楽 スカ(Ska) - 1950年代後半~1966年頃
そしてメントの次に登場する音楽がスカ(Ska)です。
この頃になるとジャマイカでは野外の広場などに設置したスピーカーで大音量で音楽を流し人々が踊る、野外ディスコのようなイヴェント「サウンド・システム」が人々の娯楽として楽しまれるようになって来ます。そうしたサウンド・システムは当初はアメリカで買い付けたレコードを流していましたが、人気が高まるにつれジャマイカのミュージシャンも育ってくるようになり、アメリカ音楽のリズム&ブルース(R&B)やブルースに影響を受けたスカが誕生するんですね。
このスカの大きな特徴は元のアメリカ音楽よりもリズムを強調したアップ・テンポの裏打ちの演奏という点が挙げられます。
一説には当時サウンド・システムで用いられたスピーカーが、メロディより重低音のビートが効いたセッティングで、その踊り易い音楽がジャマイカの聴衆から支持された為だと言われています。そうしたスカの流行からジャマイカでもサウンド・システムを運営する主催者が自身のサウンド・システムで音楽を流す為に、独自のレコーディングを行うようになって来るんですね。
そうしてスカという音楽が発展して来るとジャマイカ独自のレーベルが生まれ、さらに仕事が増えた事でミュージシャンも多く誕生して来るんですね。この当時誕生したレーベルとしてはDownbeatというサウンド・システムを運営していたC.S. Doddが主催するStudio Oneや、Arthur ‘Duke’ Reidが主催するTreasure Isleなどが挙げられます。そしてこのStudio OneとTreasure Isleという2つのレーベルは、その後もジャマイカの2大レーベルとして70年代の中頃までジャマイカの音楽界をけん引して行く事になります。
また歌手としてはAlton Ellis(アルトン・エリス)やDerrick Morgan(デリック・モーガン)、Lord Creator(ロード・クリエイター)、Laurel Aitken(ローエル・エイトキン)、Jackie Opel(ジャッキー・オペル)、Prince Buster(プリンス・バスター)などが活躍し、またヴォーカル・グループとしてはBob Marley(ボブ・マーリー)などが在籍したThe Wailers(ザ・ウェイラーズ:この時代の3人組グループの彼らを「オリジナル・ウェイラーズ」と称する事があります)やThe Maytals(ザ・メイタルズ:のちにToots & The Maytalsとなります)などが活躍し、演奏者としてはバック・バンドとして活躍したThe Skatalites(ザ・スカタライツ)が人気を博しました。
またこのスカはジャマイカ国内で人気を博しただけでなく、当時音楽産業の中心地のひとつだったイギリスでも注目され人気を博す事となります。
スカは輸入元のレーベル名から「Blue Beat(ブルー・ビート)」と呼ばれ、当時のイギリスの不良少年たちの間で人気の音楽となります。Blue Beatの創始者はEmil E. Shalit (エミル・E・シャリット)という人で、もともと音楽に興味が無かったと言われていますが、「キング・オブ・ブルー・ビート」と呼ばれたPrince BusterやLaurel Aitkenなど多くのスターを結果的に育てる事になります。このスカのイギリスでの成功は、それまで観光しか産業を持たなかったジャマイカに音楽という新しい産業を与える事となります。
そしてイギリスを中心に海外でも認められた事で、ジャマイカの音楽産業はさらに発展して行きます。またこのそれまではイギリス領だったジャマイカは、スカの時代の1962年にイギリスからの待望の独立を果たしています。この独立当時のジャマイカはまだ白人層が支配する秋田県ほどの面積の貧しい島国のひとつでしたが、音楽産業の発達とともに徐々に豊かな国へと変貌して行きます。
3. レゲエ以前の音楽 ロックステディ(Rocksteady) - 1966年~68年
次にジャマイカで人気となった音楽がロックステディ(Rocksteady)です。
それまで人気のスカがアップ・テンポの音楽だったのに対して、ロックステディはスロー・テンポで、歯切れの良いリズムと甘いメロディが特徴的な音楽です。このスロー・テンポのロックステディがミディアム・テンポに変化してレゲエという音楽になったと言われますが、リズムを刻むようなリード・ギターと歯切れの良いドラミングのレゲエにも共通する音楽スタイルは、すでにこの前身のロックステディの時代に表れています。
そのロックステディのスタイルを確立するうえで中心となったのが、Studio Oneを中心に活動した元The Skatalitesのキーボード奏者Jackie Mittoo(ジャッキー・ミットゥ―)と、トリニダード・トバゴ出身のギタリストのLynn Taitt(リン・テイト)、Treasure Isleを中心に活動した元The SkatalitesのTommy McCook(トミー・マクック)達でした。
Jackie Mittooのポピュラー・ミュージックを元としたメロディの作成と、Lynn Taittの独特のリズムを刻むようなギター・ワーク、Tommy McCookのジャズの要素を取り入れたホーン・セクションは、後のルーツ・レゲエの基礎となります。
このロックステディの時代に活躍したレーベルとしては、Studio OneとTreasure Isleが2大レーベルとして活躍したほか、シンガーのDerrick Harriott(デリック・ハリオット)が設立したアメリカのソウル音楽などの影響を受けたレーベルCrystal(クリスタル)などが知られています。
またこの時代に活躍したアーティストとしては、Studio Oneを中心に活動したThe Heptones(ザ・ヘプトーンズ)やThe Cables(ケーブルス)、Treasure Isleで活躍したAlton EllisやHopeton Lewis(ホープトン・ルイス)、The Paragons(ザ・パラゴンズ)、女性シンガーのPhyllis Dillon(フィリス・ディロン)、ミスター・ロックステディと呼ばれたKen Boothe(ケン・ブース)、Derrick Harriottのレーベル、Crystalで「Stop That Train」や「Tonight」などのヒットを飛ばしたデュオKeith & Tex(キース・アンド・テックス)などが知られています。
音楽産業が徐々に盛んになり多くのスターが誕生したのが、このロックステディの時代でした。そうしたジャマイカの音楽産業が発展したロックステディの時代でしたが、66年から68年のわずか3年あまりの短い期間で終了してしまいます。その理由は中心人物であったJackie MittooやLynn Taittなどが、さらに大きな成功を求めてカナダ移住を決めてしまった為だと言われています。
ただこのロックステディの時代は多くの名曲が誕生した時代で、それらの曲は後の時代にファウンデーション・リディムとして、たびたび使われ続ける事になるんですね。
人気のリディムに新しい歌詞を載せて繰り返し使う、ジャマイカ特有の「リディム文化」はこのロックステディの時代から始まったといえます。
4. ルーツ・レゲエ(Roots Reggae)-1960年代後半~1970年代
さて66年から68年までのわずか3年間で終わってしまったロックステディに代わって登場して来た音楽がレゲエ(Reggae)です。(当初は単にレゲエと呼ばれていましたが、後にダンスホール・レゲエが流行するようになったので、区別するためにこの時代のレゲエを「ルーツ・レゲエ」と呼ぶようになります。)
この69年頃から70年代ぐらいの時期は、レゲエという音楽のスタイルが固まるまでの期間で、ダブやディージェイなど、様々な音楽形態のレゲエが登場して来た創世記の時代でした。ロックステディのスロー・テンポのリズムがミディアム・テンポに変化してレゲエという音楽になったと言われますが、リズムを刻むようなリード・ギターと歯切れの良いドラミングというスタイルがどちらの音楽にも共通しています。
さらにこのルーツ・レゲエの大きな特徴としては、ラスタファリズムに根差した宗教的でプロテスト・ソング的な歌詞という事が挙げられます。
スカの時代頃から徐々にミュージシャンの間で浸透し始めたラスタファリズムという宗教の影響が、この時代ぐらいからかなり顕著に表れて来ます。
ラスタファリズムはキリスト教の影響を受けた黒人層を対象にした宗教で、自然崇拝、アフリカ回帰、マリファナ信仰などを思想化した宗教で、そうした思想のプロテスト・ソング的な歌詞も世界に認められるようになった要因のひとつだと思われます。
この時代に活躍した代表的なレーベルとしては、スカの時代から活躍するStudio OneとTreasure Isle、新興勢力として力を付けたChannel One(チャンネル・ワン)やJoe Gibbs(ジョー・ギブス)、Randy’s(ランディーズ)、プロデューサーのBunny Lee(バニーリー)のレーベルJackpot(ジャックポット)やAttack(アタック)、独特のソフトなレゲエで人気を博したMoodisc(ムーディスク)などが挙げられます。
国際的に活躍したアーティストとしては、今もレゲエのアイコンとして知られるBob Marley & The Wailers(ボブ・マーリー・アンド・ザ・ウェイラーズ)や、Toots & The Maytals(トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ)、映画「The Harder They Come(ザ・ハーダー・ゼイ・カム)」の主演としても知られるJimmy Cliff(ジミー・クリフ)、Peter Tosh(ピーター・トッシュ)、Third World(サード・ワールド)などが有名です。
他にもシンガーとしてはHorace Andy(ホレス・アンディ)やDennis Brown(デニス・ブラウン)、John Holt(ジョン・ホルト)、Bunny Wailer(バニー・ウェイラー)、Burning Spear(バーニング・スピア―)、Gregory Isaacs(グレゴリー・アイザックス)、Johnny Clarke(ジョニー・クラーク)、Yabby You(Yabby U:ヤビー・ユー)、ヴォーカル・グループとしてはThe Mighty Diamonds(ザ・マイティ・ダイヤモンズ)、Israel Vibration(イスラエル・ヴァイブレーション)、The Abyssinians(ザ・アビシニアンズ)、The Congos(ザ・コンゴス)、The Culture(ザ・カルチャー)、Count Ossie Mystic Revelation Of Rastafari(カウント・オジー・アンド・ザ・ミスティック・レヴォリューション・オブ・ラスタファリ)、The Gladiators(ザ・グラディエイターズ)、Ras Michael & The Sons Of Negus(ラス・マイケル・アンド・ザ・サンズ・オブ・ニガス)、ディージェイとしては「元祖ラッパー」とも称されるU-Roy(ユー・ロイ)や、I-Roy(アイ・ロイ)、Big Youth(ビッグ・ユース)、Dennis Alcapone(デニス・アルカポーン)、Dillinger(ディリンジャ―)、Prince Far I(プリンス・ファー・ライ)、インスト系のアーティストとしてはメロディカのAugustus Pablo(オーガスタス・パブロ)やトロンボーン奏者のRico(リコ)、バック・バンドとしてはThe Aggrovators(ザ・アグロヴェイターズ)やThe Revolutionaries(ザ・レヴォリューショナリーズ)、The Professionals(ザ・プロフェッショナルズ)、Soul Syndicate(ソウル・シンジケート)など、多くのアーティストが活躍しました。
またこの時代はダブの流行などでミックス・エンジニアが脚光を浴びた時代で、「Super Ape」などの斬新なダブ・アルバムやThe Congosなどのプロデュースで知られるLee ‘Scratch’ Perry(リー・スクラッチ・ペリー)や、現代の音楽の元を作ったとも言われるKing Tubby(キング・タビー)、Joe Gibbs(ジョー・ギブス)の元で活躍したErrol Thompson(エロル・トンプソン)、Studio OneでDub Specialist(ダブ・スペシャリスト)名で活躍したSylvan Morris(シルヴァン・モリス)など、優秀なエンジニアが輩出した時代でした。
またこの70年代後半になるとUKでも徐々にレゲエが盛んになり、UKで活躍するレゲエ・アーティストが登場して来るようになります。
そうしたレゲエは当時「ブリティッシュ・レゲエ」と呼ばれていました。
(現在はUKレゲエという言い方が一般的です。)
レーベルとしてはIsland Records(アイランド・レコード)やCBS、EMIなど、UKの比較的メジャーなレーベルからリリースされていました。
UKレゲエはグループのリリースが多く、Aswad(アスワド)やSteel Pulse(スティール・パルス)、Dennis Bovell(デニス・ボーヴェル)の在籍したMatumbi(マトゥンビ)、Misty In Roots(ミスティ・イン・ルーツ)、黒人と白人の混成グループUB40(ユー・ビー・フォーティ)などが活躍していました。
またUKでラヴ・ソングを中心としたレゲエ「ラヴァーズロック・レゲエ」が誕生したのも70年代中頃の事です。その中心人物はプロデューサーのDennis Bovell(デニス・ボーベル)やミュージシャンのDennis BovellやJohn Kpiaye(ジョン・カパイ)といった人達でした。
また70年代中頃にUKでパンクやニューウェーヴとレゲエを融合したようなサウンドで人気を得た、Adrian Sherwood(エイドリアン・シャーウッド)の主催するOn-U Sound(オン・ユー・サウンド)レーベルが誕生し、シンガーのBim Sherman(ビム・シャーマン)やディージェイのPrince Far I、サックス奏者の’Deadly Headley’ Bennett(デッドリー・ヘッドリー・ベネット)などが活躍しています。
またUSでは人気の黒人音楽はソウルやファンクなどで、レゲエはまだマイナーな音楽でしたが、この時代からニューヨークの地下室を拠点としたレーベルWackies(ワッキーズ)が活動しています。
5. アーリー・ダンスホール・レゲエ (1980年代~80年代半ば)
70年代後半ぐらいになると、レゲエにも新しい動きが出て来ます。
それまで思想的なルーツ・レゲエがジャマイカでは人気の音楽でしたが、この頃になると人々の娯楽の音楽、ダンスの現場で楽しめるラヴ・ソングやスラックネス(下ネタ)、ガン・トーク(暴力ネタ)などを中心としたダンスホール・レゲエが好まれるようになって来るんですね。
こうした政治的なルーツ・レゲエから快楽的なダンスホール・レゲエへの転換は、一説にはジャマイカの政治が影響していると言われています。
70年代頃のジャマイカは社会主義的な政策をとるMichael Manley(マイケル・マンリー)が率いる人民国家党(PNP)と、自由主義的な政策をとるEdward Seaga(エドワード・シアガ)が率いるジャマイカ労働党(JLP)の2つの政党があり、支持者の間で銃撃戦が起きるほど荒れた国だったんですね。
そしてプロテスト・ソング的なルーツ・レゲエが流行った70年代はPNPが政権を執っており、80年に行われた選挙では自由主義的なJLPが政権を執ったんだそうです。
90年代にルーツ・レゲエの人気は再び復活しますが、その頃に政権を執った政党はPNPだったそうで、レゲエの流行と政治には相関関係があるのではないかという説があります。
このアーリー・ダンスホールの時代の音楽の特徴としては、スローなワン・ドロップのリズムが好まれたという事があります。
またジャマイカの音楽史の中でスロー・テンポの音楽が大流行した時代が2度あるのですが、それが60年代後半のロックステディの時代と、この80年代前半のアーリー・ダンスホール・レゲエの時代なんですね。
この80年代前半はバック・バンドRoots Radics(ルーツ・ラディクス)の特徴的なスローなワン・ドロップのリズムが大流行した時代で、若者の文化としてダンスホールが定着した時代でした。
この時代に活躍したレーベルとしては、UKの大手レーベルGreensleeves(グリーンスリーヴス)から資金を得てこの時代をけん引したHenry 'Junjo’ Lawes(ヘンリー・ジョンジョ・ロウズ)のレーベルVolcano(ヴォルケーノ)、シンガーのLinval Thompson(リンヴァル・トンプソン)のレーベルThompson Sound(トンプソン・サウンズ)、ディージェイのJah Thomas(ジャー・トーマス)のレーベルMidnight Rock(ミッドナイト・ロック)、Roots Radicsのスローなワン・ドロップに対してSly & Robbie(スライ・アンド・ロビー)の演奏するミドル・テンポのワン・ドロップで対抗したGeorge Phang(ジョージ・パン)のレーベルPower House(パワー・ハウス)などが挙げられます。
ミュージシャンとしてはSly & Robbieの後押しで国際的に活躍したグループBlack Uhuru(ブラック・ウフル)、シンガーとしてはBarrington Levy(バリントン・リーヴィ―)、Little John(リトル・ジョン)、Barry Brown(バリー・ブラウン)、Half Pint(ハーフ・パイント)、Carlton Livingston(カールトン・リヴィングストン)、Triston Palma(トリスタン・パルマ)、Johnny Osbourne(ジョニー・オズボーン)、Michael Palmer(マイケル・パルマ―)、Michael Prophet(マイケル・プロフェット)、ディージェイとしては絶大な人気を誇ったYellowman(イエローマン)やGeneral Echo(ゼネラル・エコー)、Lone Ranger(ローン・レンジャー)、Josey Wales(ジョジー・ウェールズ)、U-Brown(ユー・ブラウン)、Toyan(トヤン)、ラバダブ・スタイルで人気を博したMichigan & Smiley(ミシガン・アンド・スマイリー)やClint Eastwood & General Saint(クリント・イーストウッド・アンド・ゼネラル・セイント)、コーラス・グループとしてはThe Wailing Souls(ザ・ウェーリング・ソウルズ)、The Viceroys(ザ・ヴァイセロイズ)、バック・バンドとしてはRoots RadicsやギターのEarl ‘ Chinna’ Smith(アール・チナ・スミス)を中心としたHigh Times Band(ハイ・タイムズ・バンド)、ダブのミックス・エンジニアとしてはPrince Jammy(プリンス・ジャミー:のちのKing Jammy)や「漫画ジャケ」シリーズで知られるScientist(サイエンティスト)などがよく知られています。
UKではパンク・ロックとスカが融合したようなネオ・スカのブーム「2トーン・ブーム」が起こり、The Specials(ザ・スペシャルズ)やMadness(マッドネス)、The Beat(ザ・ビート)、The Selector(ザ・セレクター)などのグループが人気を博しました。
またこの時期のUKではAriwa(アリワ)レーベルを拠点にラヴァーズロック・レゲエのプロデュースや「Dub Me Crazy」シリーズなどのダブで知られるMad Professor(マッド・プロフェッサー)や、サウンド・システムを拠点にプロデューサーやダブなどで知られるJah Shaka(ジャー・シャカ)の活躍が目立ちます。
またレゲエの演奏に独特の詩の朗読を乗せた、UKのダブ・ポエトの詩人Linton Kwesi Johnson(リントン・クエシ・ジョンソン)が人気を博したのもこの時代でした。
またこの時代頃からAlpha Blondy(アルファ・ブロンディ:コートジボワール出身)など、アフリカン・レゲエのアーティストも台頭して来るようになります。
またこの頃のレゲエはまだ海外ではルーツ・レゲエのイメージが強く、海外向けにはルーツ・レゲエ、国内向けにはダンスホール・レゲエというダブル・スタンダードが生じてしまいます。そうした混乱は80年いっぱいぐらいまで続いてしまう事になります。
6. デジタル・ダンスホール・レゲエ (1985年~)
80年代も半ば頃になると、また新しい動きがレゲエに起こります。
それまでレゲエの世界はそれぞれの楽器での生演奏が主流でしたが、レゲエの世界にもデジタル機材を使った音楽作成へと変わって行くんですね。
最初にレゲエのデジタル化に先鞭を付けたのはPrince Jammyで、85年に彼がプロデュースしたWayne Smith(ウエイン・スミス)の曲「Under Me Sleng Teng(アンダー・ミ・スレン・テン)」がレゲエ初のデジタルで作成した曲として大ヒットします。
これを機にジャマイカではPrince Jammy から改名したKing Jammy(キング・ジャミー)によるデジタルのダンスホール・レゲエの大ブームが起きるんですね。
それまで人の演奏で制作されていた楽曲はデジタル機材を使用した少人数の録音に変わり、音楽制作が一気に効率化されて、大量に曲が量産されるようになります。
この時代のレーベルとしてはデジタル革命を起こしたKing JammyのレーベルJammys(ジャミーズ)、Augustus ‘Gussie’ Clarke(オーガスタス・グッシー・クラーク)のレーベルMusic Warks(ミュージック・ワークス)や、King TubbyのレーベルのFirehouse(ファイヤーハウス)とWaterhouse(ウォーターハウス)、George PhangのPower Houseなどが知られています。
この時代に活躍したミュージシャンは、シンガーはFrankie Paul(フランキー・ポール)やIni Kamoze(アイニ・カモージ)、Anthony Red Rose(アンソニー・レッド・ローズ)、King Kong(キング・コング)、Cocoa Tea(ココ・ティー)、Admiral Bailey(アドリラル・ベイリー)、Admiral Tibet(アドミラル・チベット)、アウト・オブ・キー唱法で人気を博したTenor Saw(テナー・ソウ)やNitty Gritty(ニッティー・グリッティー)、Courtney Melody(コートニー・メロディ)、ディージェイではCharlie Chaplin(チャーリー・チャップリン)やNicodemus(ニコデマス)、Brigadier Jerry(ブリガディア・ジェリー)、Ninjaman(ニンジャマン)、バックを担当したミュージシャンのSteely & Clevie(スティーリー・アンド・クリーヴィー)やSly & Robbieなどが知られています。
またこの時代頃からアフリカン・レゲエでは、南アフリカのLucky Dube(ラッキー・デューベ)がレゲエ・シンガーとしての活動を始めます。
この時代は一気にデジタル化が進み、ミュージシャンが大幅に入れ替わった時代でした。
また初期のデジタル・サウンドはかなり無機質のサウンドだったせいか、ルート音より5度高いキーで歌う「アウト・オブ・キー」の流行など、ヴォーカリストの歌唱法の工夫が感じられる時代でした。
7. 90年代のレゲエ(1990年~)
90年代頃になるとレゲエはより隆盛となり、Shabba RanksやBeenie Man、Chaka Demus & Pliersなど、世界的にも曲がヒットするアーティストが多く登場して来るようになり、レゲエの国際化がより進むようになります。(レゲエがもっとも売れたのは、この90年代だと言われています。)それと共にレゲエのポピュラー・ミュージック化が進みます。
またそれまでダンスホール・レゲエに押されて勢いを失っていたルーツ・レゲエですが、Garnet Silk(ガーネット・シルク)やTony Rebel(トニー・レベル)などによるルーツ・レゲエの復興運動「ルーツ・リヴァイヴァル」により再び勢いを取り戻します。
彼らはルーツ・レゲエのメロディにこだわらず、ダンスホールのリズムにルーツらしいコンシャス(真面目)な歌詞を載せる事で、聴衆の支持を得るようになるんですね。
この時代に活躍したレーベルとしてはBuju Banton(ブジュ・バントン)を育てたDonovan Garmain(ドノヴァン・ジャーメイン)のレーベルPenthouse(ペントハウス)や、Bobby Dixon(ボビー・ディクソン)のレーベルDigital B(デジタル・ビー)、ルーツ・レゲエの復活に功績のあったPhilip ‘Fatis’ Burrell(フィリップ・ファティス・バーレル)のレーベルXterminator(エクスターミネイター)などがよく知られています。
またアーティストとしては、シンガーのGarnet SilkやWayne Wonder(ウエイン・ワンダー)、Sanchez(サンチェス)、Luciano(ルチアーノ)、Pinchers(ピンチャーズ)、Beres Hammond(ベレス・ハモンド)、Thriller U(スリラー・ユー)、Spanner Banner(スパナー・バナー)、ディージェイのSizzlaやCapleton、Anthony B 、Shabba Ranks(シャバ・ランクス)、Beenie Man(ビーニ・マン)、Tony Rebel、Bounty Killer(バウンティ・キラー)、Super Cat(スーパー・キャット)、スラックネス・クイーンとして人気のLady Saw(レディ・ソウ)、シンガーとディージェイのデュオChaka Demus & Pliers(チャカ・デマス・アンド・プライヤーズ)やTanto Metro & Devonte(タント・メトロ・アンド・デヴォンテ)などが知られています。
またこの90年代になるとジャマイカではあまりダブ・アルバムが作られなくなります。
その大きな原因として考えられるのが、ダブのクリエイターとして力を持っていたKing Tubbyが89年に暗殺されてしまった事と、この時代になるとあまりインスト系の音楽が聴かれなくなって来た事が挙げられます。ダブの作成はUKのMad ProfessorやJah Shakaなどが今でも行っており、そうしたUKの人達に引き継がれている感があります。
またこの時代になるとレゲエの隆盛の一方で、「バティマン(ホモ・セクシャル)批判」などで、国際社会との軋轢も表面化して来ます。もともとジャマイカはホモ・セクシャルなどの性的マイノリティ(少数派)には厳しい国民性の国でしたが、Buju BantonやBeenie Man、Sizzlaなどが、歌を通じてホモ・セクシャル批判をした事からゲイのコミュニティなどから反発が起きて、レゲエは「ヘイト・ミュージック(差別音楽)」というレッテルを貼られ、Sizzlaなど多くのアーティストの海外公演が中止に置き込まれる事態が起きています。そうした軋轢は残念ながら今も残っています。
またこの90年代頃から過去のレゲエの音源をリイシュー(再製造)するレーベルが登場します。レゲエ博士と言われたSteve Barrow(スティーヴ・バロウ)氏のUKのレーベルBlood & Fire(ブラッド・アンド・ファイヤー)、同じくUKのレーベルPressure Sounds(プレッシャー・サウンズ)などがルーツ・レゲエの時代の音源をリイシューしています。
こうした過去の音源の再発掘が、のちのラスタ・リヴァイヴァル・ムーヴメントなどの運動を促進した可能性があります。
またこの頃からアフリカン・レゲエではコートジボワール出身のTiken Jah Fakory(ティケン・ジャー・ファコリー)が活動を始めます。
8. 2000年代のレゲエ
この2000年代ぐらいになると大きなムーヴメントは起こっていませんが、レゲエという音楽は世界的に認められた音楽の1ジャンルとして、完全に定着した感があります。
またアーティストとしては、シンガーでは国際的に活躍したSean Paul(ショーン・ポール)やラスタ系のJah Cure(ジャー・キュア)、Tarrus Riley(トーラス・ライリー)、I-Octane(アイ・オクティン)、Richie Spice(リッチー・スパイス)、Tanya Stephens(ターニャ・スティーブンス)、Richie Stephens(リッチー・スティーブンス)、Mr. Vegas(ミスター・ヴェガス)、Busy Signal(ビジー・シグナル)、Gyptian(ジプシャン)、イタリア人でプロデューサーとしても活躍したAlborosie(アルボロジー)、ディージェイとしては絶大な人気を誇ったVybz Kartel(ヴァイブス・カーテル)やDamian ‘Jr. Gong’ Marley(ダミアン・ジュニア・ゴング・マーリー)、Turbulence(タービュランス)、Junior Kelly(ジュニア・ケリー)、Chuck Fenda(チャック・フェンダ)、Elephant Man(エレファント・マン)、グループとしてはMorgan Heritage(モーガン・ヘリテージ)、T.O.K.(ティー・オー・ケー)、Voicemail(ヴォイスメール)などが活躍しています。
またこの2000年代にフランスのレゲエ・リイシュー・レーベルMakasound(マカサウンド)が誕生し、過去のレゲエのリイシューだけでなく、レゲエ・アーティストが自分の過去の曲をギタリストのEarl ‘Chinna’ Smithの自宅の「庭」でアコースティックで再演する「Inna De Yard(インナ・デ・ヤード)」シリーズのアルバムを作成しています。
9. 2010年代のレゲエ (2010年~)
この2010年代にはレゲエの世界に2つの大きな出来事がありました。
1つはEDM(エレクトリック・ダンス・ミュージック)のプロデューサーDiple(デュプロ)を中心としたプロジェクトMajor Lazer(メジャー・レイザー)がレゲエの世界に進出して来たこと。彼らはゲストにVybz KartelやBusy Signalを迎え、EDMとレゲエをミックスした新しいコンセプトのレゲエ「ミュータント・レゲエ」を掲げて世界中のダンス・ミュージック・ファンから注目を集めます。
そしてその影響を受けてダンスホール・レゲエの世界も活気を取り戻す事になります。
もう1つの出来事としてはこの10年代に70年代頃のルーツ・レゲエの影響を受けたアーティストが数多く登場し、それがレゲエ・ファンの間で「ラスタ・リヴァイヴァル・ムーヴメント」と呼ばれるようになります。
Chronixx(クロニックス)やProtoje(プロトジェイ)、Jesse Royal(ジェシー・ロイヤル)、Jah9(ジャー・ナイン)、Kabaka Pyramid(カバカ・ピラミッド)などがその運動の中心人物といわれ、70年代のBob Marleyのような社会問題に力を入れたプロテスト色の強い歌詞で人気を博します。
この時代に活躍したミュージシャンはシンガーとしてはChronixxやJesse Royal、Jah9、Iba Mahr(アイバ・マ)、Busy Signal、Dre Island(ドレ・アイランド)、Hempress Stiva(エンプレス・サティーヴァ)、Samory I(サモリー・アイ)、Mortimer(モーティマー)、ディージェイではProtojeや、Kabaka Pyramid、Vybz Kartel、Damian ‘Jr. Gong’ Marley、グループとしてはやはりEDMのユニットMajor Lazerのレゲエ進出が際立ちます。
残念な出来事としてはVybz KartelやNinjaman(ニンジャマン)が殺人事件で逮捕され無期懲役となってしまった事と、Buju Bantonが麻薬取引の容疑で逮捕され収監された(現在は刑期を終え釈放)事です。ミュージシャンがダンスホールなどで一般の人と接する機会が増え、犯罪に巻き込まれる事が多くなったためといわれています。
以上1950~2010年代ぐらいまでの、レゲエ及びジャマイカの音楽の歴史です。
こうしたレゲエの歴史をある程度憶えていて、そのアルバムが何年に作られたアルバムか?どういう種類のレゲエなのか?という事を考えて聴くと、レゲエという音楽がより深く楽しめるのではないかと思います。また音楽の歴史全体で見ると、やはり80年代の音楽のデジタル化は、それまでの人による演奏からガラッと音楽自体の質を変えた、世界的にも大きな出来事だった事が解ります。
「ローマは1日にして成らず」と言いますが、レゲエという音楽がブレイクを果たすまでには、スカという音楽が60年代で認められたこと、それによって音楽産業が栄えて66年にレゲエの基礎となるロックステディが誕生し、60年代の終わり頃にやっとレゲエが誕生しているんですね。そうした熟成期間を経てジャマイカの音楽レゲエは、70年代半ばに世界的なブレイクをしています。そしてその音楽産業の成功がジャマイカの国自体を少し豊かにし、世界に誇れる音楽文化を持った国に成長して行った事は間違いありません。
そして2018年11月29日にレゲエという音楽は、ユネスコの「無形文化遺産」に登録されています。たった秋田県ほどの面積のカリブ海の島国がその音楽文化を認められ、登録に至った事はやはり称賛すべき事だと思います。
レゲエという音楽はダンス・ミュージックであったり、社会の不正を告発するプロテスト・ソングであったり、時には露骨すぎるスラックネス(下ネタ)であったりと、様々な顔を持っています。またすごく直感的、感覚的な音楽の側面を持っている半面、今の音楽を先取りしたような知的でアヴァンギャルド(前衛的)な側面も持った音楽でもあります。
レゲエという音楽を聴く事は人生の喜びであり、あなたの人生をより豊かなものに変えるかもしれません。あなたもこのレゲエという音楽を聴いてみませんか?
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Upsetters® “The Product First” Tokyo Japan
Upsetters® www.upsetters45.com (#upsetters45)
2020年より世界のアナログレコード愛好家に向け、王冠をアイデンティティに持つユニークな”Product Art”(機能するアート作品)を発信開始。
アナログレコードのRe:ムーブメントをテーマに7inch/45回転レコードをフィーチャーし、一つ一つハンドメイドで製作された唯一無二のプロダクトアート作品。FounderであるJET氏が愛するJamaica音楽文化がコレクションに散りばめられた、"the Product First" 造形製品(作品)から開始される次世代へ向けたMade in Japan唯一無二のオリジナルブランド” Upsetters® ”はアイデンティティとして王冠を持つ。
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